~人が見える化学~ 三協化成株式会社

~人が見える化学~ 三協化成株式会社

  • 企業沿革
企業起源
Corporate origin
  • 化学産業の黎明期、先駆的存在としてマエダ式ルブラン法などの考案により様々な化学品を世に出し、硫化ソーダ事業のリーディングカンパニーとして長年にわたり業界を牽引してきた前田製薬所。レーヨン産業の全盛期に硫化ソーダ事業に参入し、技術力に特化することで高品質な製品を市場に提供してきた旭化学工業。医薬品国産化を実現するために設立され、様々な独自性ある製品を自社開発し、特徴ある医薬会社として存在感を示してきた帝国化学産業。この3つの化学品研究開発に特化した企業のDNAを受け継ぐ三協化成は、時代の変化に合わせ、様々なオリジナリティあふれる化学品の開発・製造を得意としています。

企業沿革
Company history
  • 三協化成の誕生と
    原料転換への挑戦

    レーヨン産業との強い関わりで事業を継続してきた前田化学工業と旭化学工業。レーヨンから合成繊維へ繊維業界の事業再編が進む中、今後を見据えた事業活動を積極的に展開するためにも、旧来の企業体質を一新して業界における地位を確固たるものにするためにも、合併を受け入れざるを得ない状況に追い込まれていく。両社と深い関わりのあった帝人が積極的に動き、「三協化成」が誕生。新しい会社としての歴史を刻んでいくこととなった。しかし、レーヨン産業の衰退により、従来の芒硝還元法による硫化ソーダの製法は転換せざるを得ない。試行錯誤を繰り返す中、当社は硫化水素を原料とした硫化ソーダの製造に大きく舵を切っていく。同時に、芒硝に礎を置く祖業は、完全な転換期を迎えることになる。

    1960年ごろの安芸津事業所
    1960年ごろの安芸津事業所
    • 1961
      前田化学工業と旭化学工業が合併し、三協化成株式会社設立
      初代社長に前田貫之助就任
    • 1962
      水硫化プラント完成(安芸津工場)
    • 1964
      中性無水芒硝プラント完成(三原工場)
      これにより含水芒硝の煮詰作業終了
    • 1965
      無鉄硫化製造のためにウエスコ炉導入
      ホワイト硫化ソーダの生産開始
    • 1967
      高純度結晶硫化ソーダプラント完成(安芸津工場)
      結晶硫化ソーダ生産開始
    • 1968
      国内製油所(愛媛)内に水硫化ソーダ原液プラント完成
    • 1969
      三社合弁による四日市ケミカル株式会社設立 中性無水芒硝を製造
      当社は販売を担当
      結晶硫化ソーダプラント第2号機、硫化総合プラント完成(安芸津工場)
    • 1970
      四日市ケミカルの中性無水芒硝プラント完成
      国内製油所(和歌山)内に水硫化ソーダ原液プラント完成
  • 有機化学分野への進出

    硫化ソーダの原料転換が進む中、当社は生き残りをかけて有機化学分野に進出する。設備も人材も技術もない悪条件の中、次々と挑戦を続けていった。そんな中、硫化ソーダを使う反応にヒントを得て、重金属処理剤「サンチオール」、高分子架橋剤「ジスネット」の開発に成功する。有機硫黄化合物合成技術を軸に、本格的な有機化学分野への進出を開始した。この流れが後に、ベンゾフェノン系紫外線吸収剤「ジスライザー」の開発へつながっていく。一方で、この時期、初の海外進出も果たす。韓国に合弁会社「韓国三協化成株式会社」を設立。硫化ソーダの製造・販売をスタートさせた。

    1980年ごろの三原工場
    • 1971
      合弁会社・韓国三協化成株式会社をソウルに設立 固形硫化ソーダ・フレーク硫化ソーダを生産・販売
      重金属処理剤・サンチオールを岩手大学工学部と共同で開発 安芸津工場で生産開始
    • 1972
      重金属処理剤・サンチオールの開発により、(社)大阪工研協会第22回工業技術賞受賞
      高分子架橋剤・ジスネット開発 安芸津工場で生産開始
    • 1973
      有機化学合成還元装置第1期プラント完成(安芸津工場)
    • 1974
      高温高圧反応装置(オートクレーブ)完成(安芸津工場)
    • 1975
      総合廃水処理プラント完成(安芸津工場)
    • 1977
      総合廃水処理プラント完成(三原工場)
    • 1979
      紫外線吸収剤ジスライザープラント完成(三原工場) 生産開始
    • 1980
      四日市ケミカルの事業から撤退
  • 受託事業を柱とした
    ビジネスへの挑戦

    1980年代に入ると、日本はエレクトロニクスやソフトウェアなど、ハイテク産業へと軸足が移っていく。有機化学分野への進出を果たした当社も例外ではなく、独自の技術を発展させるとともに、時代の潮流に乗った分野の受託事業をビジネスの柱に据え、専門性を高めていく方向に舵を切った。特にコンタミネーション(不純物の混入)には厳しい精度を要求され、苦難を乗り越えながら受託事業への対応を行った。さらにPPS樹脂原料となる結晶硫化ソーダも、当社の鉄分含有の極めて少ない高品質な製品が、顧客である樹脂メーカーから好評をもって迎えられ、無機化学分野で久々に大きな需要を生み出すことになった。

    1980年ごろの三原工場
    廃水処理設備(接触酸化法)(1985年)
    • 1981
      フォトレジスト中間体・THBPサンプル生産開始(安芸津工場)
    • 1983
      精密化学品マルチプラントF-1・F-2完成(安芸津工場)
      三原工場を安芸津工場に集約し閉鎖
    • 1985
      安芸津工場事務棟、総合フレークプラント、サンチオール新工場、接触酸化排水処理プラント完成
      結晶硫化ソーダの製法で特許取得
    • 1987
      国内製油所(兵庫)内に水硫化ソーダ原液製造プラント完成
    • 1988
      東京営業所を中央区日本橋人形町に開設
  • エレクトロニクス分野の深耕、
    ヘルスケア分野への進出

    半導体産業の活況を受けて、より高機能・高精密な化学品の提供が必要となった。特に低金属精製の需要が高くなり、それに応じた生産環境が求められた。当社では低金属精製専用のF-3工場を建設。g線やi線にも対応可能なフォトレジスト中間体の製造に向けたチャレンジを始める。不純物管理基準ではppmオーダーからpptオーダーのレベルを要求されるようになり、クリーンルーム仕様の生産・研究開発・分析機能を強化。コンタミネーション撲滅への不断の取り組みは、Metal Contamination Free技術という当社独自の展開に結びつくこととなった。さらにこの時期、硫化水素が取り扱えることが決め手となりヘルスケア分野での大型事業を受託。医薬中間体の製造においてGMP対応へのチャレンジも開始した。

    2000年ごろのマルチプラントF-7
    2000年ごろのマルチプラントF-7
    • 1991
      超純水生成装置を設置した低金属精製プラントF-3完成
    • 1994
      精密化学品マルチプラントF-6完成
      精密化学品マルチプラントF-5完成
    • 1995
      精密化学品マルチプラントF-8完成
    • 1997
      クリーンルームを備えた精密化学品マルチプラントF-7完成
      東京営業所を中央区日本橋茅場町に移転
      ICP-MS分析装置導入 中間試験工場完成
    • 1998
      F-7増設、加圧濾過機稼働
    • 1999
      前田貫之助逝去
      第3代社長に前田雅也就任
    • 2000
      経営理念制定
  • 「Human Chemistry」 
    人が見える化学

    21世紀を迎え、コーポレートスローガン「Human Chemistry」を制定。人と人、人と社会、人と環境を化学でつなぐ企業として様々な事業展開をスタートする。二つのベンチャー企業「キラル・デザイン・ラボラトリー」「いおう化学研究所」の立ち上げ、当社独自技術の海外展開として中国に合弁会社「東営三協化学有限公司」設立など、次のシーズとなる事業をスタートさせた。また、安芸津事業所にEL-Lab、F-11工場を開設。Metal Contamination Free技術の追究による電子材料分野での精緻生産実現に向けて、精力的な取り組みを継続した。

    2007年完成のF-11プラント(安芸津事業所)
    2007年完成のF-11プラント(安芸津事業所)
    • 2001
      コーポレートスローガン「人が見える化学~Human Chemistry」、
      コーポレートマーク発表
    • 2003
      東京営業所を東京オフィスと改称し、日本橋室町に移転
      精密化学品マルチプラントF-10完成
    • 2005
      研究開発拠点としてプロセステクノロジーラボ(PT Lab)開設
    • 2006
      キラル化合物を中心とする精密化学品研究のため、
      「キラル・デザイン・ラボラトリー」を設立
      合弁会社・東営三協化学有限公司を山東省東営市に設立
      水硫化ソーダ生産
    • 2007
      有機硫黄化合物の先端技術研究開発のため、「いおう化学研究所」を岩手県盛岡市に設立
      安芸津工場を安芸津事業所に改称
      電子材料用メタルコンタミネーションフリー専用プラントF-11完成
      メタルコンタミネーションフリー専用研究・検査施設「エレクトロニックテクノロジーラボ(EL Lab)」開設 ICP-MSを2台設置
    • 2009
      キラル・デザイン・ラボラトリーの研究から生まれた3-アミノピロリジンのサンプル供給開始
  • 医薬事業を新たな柱に 
    新生三協化成の誕生

    無機事業・電材事業をコア事業の柱として展開してきた当社は、景気変動(シリコンサイクル)に左右されにくい事業構成の再構築を目指すことになる。念願して止まないのは医薬品の製造である。その為にも、GMPというハードルをクリアしなければならない。兵庫県の医療特区であったポートアイランドに神戸研究所を開設し、産学官の連携による技術提案力の向上を図るなどの弛まぬ努力を続けた。思うような成果に結びつかず、多くの課題を抱える状況ではあったが、そんな時、一つの出会いに恵まれる。ナガセケムテックス福知山第二工場との統合である。文化の異なる会社が一つになることは簡単ではなかったが、結果として三協化成福知山事業所開設に繋がり、ついに念願の医薬品原薬製造を実現。医薬事業をコア事業の第三の柱に据えることができた。新生三協化成の誕生である。

    2015年ごろの福知山事業所
    2015年ごろの福知山事業所
    • 2011
      「経営ビジョン2021」発表
    • 2013
      安芸津事業所パイロットプラントにクリーンルーム設置
    • 2014
      神戸研究所をポートアイランド(神戸市中央区港島南町)に開設
      東京オフィスの機能を大阪本社へ集約
      東京サテライト・オフィスを中央区日本橋兜町に開設 
    • 2015
      京都府福知山市に福知山事業所開設
    • 2017
      「CREDO」発表 第1回CREDO会議開催
    • 2018
      西日本豪雨により安芸津事業所浸水被害 約2か月間操業停止
    • 2020
      福知山事業所、FDA査察クリア
    • 2021
      「経営ビジョン2031」発表
    • 2023
      神戸研究所の機能を安芸津事業所・福知山事業所に集約
      東京サテライトオフィスを千代田区丸の内に移転
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